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※ 18年間維持してきた以前の個人ページは破棄し、新たにココで個人ページを立ち上げることにしました。よろしくお願い申し上げます。

※ ココでもきっと、好き勝手なことを書き連ねるので、どなた様も「こいつはアホだ!」と思って頂いて・・・・大丈夫です。

自己紹介 昭和43年11月10日 出生地 北海道足寄町・・らしい(一度行ってみたい所)

 

見て下さい!このバカ顔・・・生き物触ってたらこの上ないアホになれるんです! まさにバカとアホのかたまり。

小学1年生のころから新聞配達をして小銭を稼ぎ、あらゆる爬虫類、魚類、鳥類を買いあさりながら、訳のわからない生活をしてきたから、こんなにオカシナ人になっちゃった~~~~~い

類友の法則で、私の周りにもオカシナ人が集まっちゃった~~~~~い!

まずはココで大事なことを先読みで書いておきます。私は立派な学歴もなく、家系図があるような立派な人物でもありません。

 

色んな人から学歴や田舎はどこ?と聞かれます。実は私「中学校の3年間しかまともに学校へ行ったことがありません」と言います。

本当のことです。小学校は生き別れた両親のお陰で日本の各地をさまよい、人には言えないような経験を積みながら、中学へと進学と思いきや、まともに小学校も行ってないため、どアホ過ぎて中学への進学が叶わず、小学6年生を2回経験しました。これも両親が「しっかりとオカシな経験を積んでね」という愛情の贈り物。公立高校へ進学したものの、学費や給食費に悩み抜いて、わずか1ヵ月目の5月に中退しました。

16歳からトビ職というものに就き、18歳の誕生日前には並みいる入れ墨職人たちを押しのけて親方になっていました。意外と勉強熱心で、建築士2級の本を読みながらオカシなトビ職人として名を馳せました。鉄骨、クレーン、玉掛け、足場など、すでに独自の考えの中で現在の法律や仕組みでは考えられない”安全ってなに?”という状況での仕事を大量にこなしました。すると手下の職人たちや色々から「トビ職の仙人」とか「産まれながらのトビ職人だ」と呼ばれていました。

少したって何故だか「ボストンマラソンに出て有名になるぞ!」ってマラソンを始めたら、何故だか北海道の積丹半島の余市を出発し、九州の博多まで日本を縦断し、四国に至りました。毎日100㌔を走破。膝(ひざ)と踝(くるぶし)は最初の1カ月間で大きく腫れ上がり、足全体が内出血していて、指で押すと毛穴から血が出てきましたが、気にせず走り続けると治るんです(これもアホのなせる業)

お昼頃、四国の祖谷のかずら橋を渡って戻ってきた時、ちょうどよくラーメン屋さんがありました。そのラーメン屋さんは「この世にこんなにまずい!ラーメンがあったのか!」と思うほど凄い!想い出の、インパクトあるラーメンでした。半生の粉っぽい茹でてないメンが、ぬる~い醤油だけの汁に落ちていてお箸が通らない。メンマとナルトとモヤシも火が通ってないらしく生粋の生。いい~想い出です。店主様に感謝。

そのラーメンをお腹に少し入れ顔をゆがめた時の事、ラーメン屋のテレビからオカシな映像が生放送されていました。「ドン!只今ホノルルマラソンの走者が一斉に・・・」あ、終わったよ。忘れてたよ。悲しい~!今の俺は42㌔なんて朝飯前のちょんちょろり~んwだ。悲しい~

一気に走る気力を無くし、マラソンは私の中で葬られました。

日本中を南下している時、あちこちの農村、漁村に立ち寄り泊めてもらうのが日課でした。時には農作業をお手伝いして泊めて頂いたら「あんちゃん家の娘の婿になってくれろ」とか、くんろ?とか、行く先々で言われたのが根無し草の私には一番うれしかったです。いやぁ~!感謝(泣)

私の半生はざっと書いたらこんな感じです。

お世話になった村は今、廃村になっている所がほとんどです。でも情が厚くて、忘れられない出来事いっぱいで、一生の宝物です。

私自身が必ずこの経験を活かして、農村や漁村が元気になる一助になれる人物になるため、日夜念願しています。

 

 

〔 庄司 直靖 の おおバカ日誌 〕↓↓↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〔令和3年1月号〕

約半年ぶりの更新です。ながらくすいません。

実は昨年の6月4日に、愛犬マリンちゃんが亡くなり、ものすごいショックでした。出会ってからたった1年くらいでした。

このマリンちゃんは、繁殖犬として狭くて臭い一室に何十匹と居たわんこの一匹です。歳は15歳~16歳くらいでダックスフントです。

死ぬまでの間に、平均で30~40匹ほども「ただ産まされるだけ」という生涯を送るようだ。

まともに寝る場所さえない、ご飯を選ぶこともできない、子育てをすることもできない、お天道様の下でお散歩もしたことがない、死を待つだけの生活。

この惨状を見れば、どんな人でも助け出そうと思うだろう。たとえ一匹でも。

この子たちが産んだわんこは、どこかで売られ、商売の道具となっていく。

しかし産まれた子たちが本当に売れるとは限らない。ショッピングゲージで育ってしまい足弱になり、廃棄されるケースも後を絶たない。

産まれた子たちが、五体満足で健全であることは逆に稀である。子育てをする事を許されず、生理が来るとまた。また。

私はほんとうに生き物が好きだから、犬も猫も買うものじゃくない、と思ってしまう。

昨今の日本人は安易に「愛犬」「愛車」と愛を簡単に呼ばわる癖がある。

ほんとうに愛するわんこなら、夫婦をつくり子育てをして欲しいと願わないだろうか?その子の家族が出来たらまた誰かに。と思わないだろうか?

ほんとうに愛する車なら、むやみにかっ飛ばしたりせず労わって乗ってみないのだろうか?そして何十万キロと乗ってあげないだろうか?

流行りや自己満足で「愛」を安っぽく使っていないだろうか。

初めてシャンプーとカットをしに行ったら、ノミだらけだった。

栄養不良かノミのせいか、毛が薄っすらしかなかったけれど、だんだんと綺麗に生え変わっていった。

初めてお散歩したときからしばらく、真っすぐに歩けなかった。

外を歩いたことがなかったせいで肉球が異常に薄すぎた。

初めての直射日光は目を薄くしばだたせていた。

色んな食べ物に興味を持ち、毎日のように工夫したドックフードに目を輝かせ、はしゃぎまくっていた。

海へ行った時、砂浜の水たまりに足を入れ顔をしかめていた。

同じ布団で寝だしてから、最高の寝心地だったようだ。寝顔が忘れられない。

 

 

〔令和2年6月号〕

5月号までまじめな記事が多くなっていたので、今回はすっごい大発見のアホな?お話。

 

じつはです!スカイフィッシュなる生物を網で掬ったことがあるんですよwコリャ~不思議な生き物です。

京都へ引っ越す前の年、6~7年くらい前の2月の大潮の干潮0時ころ。葉山の御用邸側の遠浅な岩場が続く500メートル以上海岸から離れた場所です。

そこは時にアワビなどの魚介を狙う密猟者が、夜な夜な主没するポイントとして有名で、見回りの警察もよく見かける海岸から遠い場所。

 

その日は横殴りの強風が吹き荒れ、変人じゃなければ絶対に海へは行かないような、おバカな磯採集日和でした。

いつもの微小生物を探しに、大き目のタイドプールがある池のようなところへ着き、波立つ水面を目を皿のようにして眺めていました。

やはり、強風のためか全く水面下が見えません。

ふと、風が入り込まない窪地の小さなタイドプールを思い出し、そこで何かを見つけようと懐中電灯を片手にのぞき込みました。

風が少しだけ弱まると、すぐ目の前にタバコの透明な外側の包装紙のようなものが、横へ横へと移動しています。

そのゴミを不思議に思い、なんだぁ~?と目を凝らすと、赤っぽい目があったんです。

その生物らしいのは異常に透明で、ぺらっぺらに扁平。体はちょうどキャタピラーのようにつなぎ目があり、バタフライのようなゆっくりとした泳ぎ。

ど~見たって生き物に見えないんだけど、やっぱり泳いでるんですが、どうしてか?生き物という気もする。

血管や心臓みたいな、内臓もなく、異常に透明な、何か。

とりあえず理解不能生物を家へ持って帰ろうと、網で掬いあげ、腰を上げてみると、やっぱり生きています。うねうね~っと、奇妙に動いてる。

その網を顔の高さまで上げて、まじまじと生き物を見ていると、強風の風音よりもすごい「ぶーん!」という音が断続して聞き取れました。

もの凄い音の主は、網の中の生物で間違いありませんでした。

あっけに囚われ、えーー!っと、んーー!っと、うなったとき、まるでヘリコプターの音にもあるようなもの凄い爆音で、左右の三角の規則正しく並ぶ手が、超ハイスピードで上下に羽ばたき、私の目の前の位置と同じ高さで浮いてきました。

もう、唖然といか、茫然自失というか、まったく動けませんでした。

私の顔から50cmくらいまでゆっくりと浮き上がった時、一瞬でその音が消え去り、その瞬間になんの音もなくスーーーっと、飛んで行きました。

それが行ってしまった後に、ようやく信じられない生物を目の当たりにしたんだと、思い知ったんです。信じられない飛行速度で去ったんです。

 

これが私の知るスカイフィッシュです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〔令和2年5月号〕

いやあああ~長いこと更新なりませんで、相すみませぬ。

令和2年に入ってからというもの、飲食業も何もかも、全てが様変わりして、皆さんドタバタ劇ではないでしょうか?

私(庄司)も、こんなにも手洗いうがいをしたのは産まれて初めてです。

やっと終息の兆しが見えてきた頃合いなので、気分転換にざっと。

 

私には二人目の孫が産まれましたが、コロナの影響でまだお顔を拝見に行けてはいません。はやく抱き上げたい。腕の中で寝顔を見たい。

 

徳川家康が盤石の地位を勝ち取り2代秀忠の治世になる前までは、日本は戦国武将が威を張る乱世だった。人を多く殺すほど出世できたのだ。

この頃、殺生与奪の権をふるい大名や地頭は農民を弑逆してもよい”道具”とみなされていた。

農民には子供を育てる権利もなく、奴隷として死ぬまで働かせ思うぞんぶんの使い道に従事させられていた。信長が今日の酒膳の不手際をなじり、料理人を追い詰め、台所下に逃げ込んだところを刀で胴を二つにした素晴らしい切れ味に”押切り丸”と名を付けたのは有名であるが、現代では考えられない命の軽さがうかがえる。殺された料理人はどうでもよかったのだ。刀の切れ味に興味を覚えほめそやす、自分勝手極まりない有様であった。

この時代では信長が法律であったわけだ。部下の大名はその下の法律主君であり、その下の農民や他は全て地頭が治める法律主君であった。

では現代はどうであろうか?

よくよく目をこらすと、今の政治は”押切り丸”を自分たちで決めた法律という観点で、憲法を盾に国民を操つろうとしてはいないだろうか。

政治の不手際を国民や地頭(都道府県知事や自治体)に負わせてはいないだろうか。

国民が国民のための国民による政(まつりごと)が、成っていないんじゃないかと、日本人にして日本が情けなく思うときがあるのだ。

 

つい先日のニュースでは、聖火ランナーを務めるはずだったとんかつ屋さんのご主人が油をかぶり自死する痛ましいことがあったという。

実は私にも身近な人で覚えがある。商売でお付き合いしていた魚屋さんであり仕出し料理屋さんを営んでいたご主人が、突然に灯油をかぶって自死したのである。子供たちが川崎病にかかっていたことから病院の費用が莫大となり、最後は自死して死亡保険金での末期を託した。この頃はまだ川崎病に関する特定の医療保険制度が未だ国会で議論されながらも、なかなか前進していなかったのだ。政府があと少しでも早く制度を決断していたなら、自死はなかったのだ。お金がなく人工透析を受けられず子供を死に直面させるか、自死した保険金で子供たちを守るか。ご主人は尊慮なく決断した。

ご主人が自死してあと、子供たちはお父さんへ感謝の素晴らしい作文を書いた。この作品は東京都のコンクールで見事に最優秀賞を得てから実話としてスペシャルドラマとしてニッセイヒューマンスペシャルとして放映された。もちろん私は見られない。TVドラマと真実の違いを慮ったからだ。

 

私は今でも、豪快にビール瓶をあおりながら一緒に笑って過ごした日を、昨日の事のように想い出すことがある。

生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされる運命の人は、意外と近くにいるかもしれないんだ。ということに危機感を持ち、目をこらそう。

 

 

〔令和2年1月新年号~はじまるよ!〕

皆様、新年明けましておめでとうございます。あれやこれやと、忙しく立ち働いていると歳をとるのもあっ!という間!なんですね。

とくに51歳になってしまうとなおさら、時間は早まるばかりwです。

 

 

〔令和元年10月号第6部〕

いやはや、最近の私の関心事は”香港”です。治安維持や暴動暴力はどこへ向かうのか?以下は私事見解で。

 

ネットニュースでも、多種多様の見解があります。人それぞれの事情でしょう。と言ってしまえば、事が終息するわけ、じゃ~ない。

私のような人が思うのはただひとつ「香港の学生ってさ、自分たちと香港の未来を慮って、戦っているんだな」

現政府には、選ぶ、選ばれる、という民主がないからなんだ。と思うよ。

学生たちは、誰のために、何のために、勉強してるの?適当な大人は「将来の就職のため」とか言うかもしれない。

でも、ここまで危険を冒して民主を訴えるのは「将来の就職のため」とは違うよね。

ウルグイ人たちが自由を持って普通に住んでいた 「制圧されたおかしな自治区を香港に作らせない為」に他ならないんだ。

学生は「政府とも誰とも話し合えて国際交流の場である香港を守り続けたい」だけなんだ。

今の学生たちには、インターネットの普及で、世界中の人々となんらかの交流が当たり前にあり「おかしな自治区」も、良く理解しているんだ。

 

もしもあなたの家族の誰かが、某宗教に入信している。

とりあえず、顔を見て幸せそうなら「まあ~いいんじゃない、好きなんだから」と考えて見守っています。

入信者が子供である学生なら、まずは両親が家族会議を勧め、良いか悪いか話し合うでしょう。

これが本来の政府の在り方です。

入信者が親である両親なら、子供である学生は、両親が間違った入信をしていないかネットやSNSで確かめるでしょう。その上で親に話すでしょう。

今の香港は「話し合いの矛先も、何一つない」こりゃ~反抗するってもんだよ。まだ学生さんなんだから。

 

話し合いの矛先が、現政府や中国政府しかないと思ったから、行き詰ったんだよね。でも現実は無理そうだよ。

今からでも遅くはない、直談判は失敗なんだと悟る。制圧されても他の国から助けに入ることは考えれない。

 

なら、学生たちが得意なSNSを香港の学生が一丸となり、それを駆使して、世界中の人々に「考えられる様々な論点を主張をぶつけるんだ」

 

中には異論も出る。

でも、きっと良い答えって、どこかから出てきて、誰かが、解決の糸口を見出すことは相当あり得る事なんだ。希望を持とう。

制圧されインターネットにも、制限がかけられる前に、いますること。できること。

君たちは親のお陰様で「学生」なんだから。

 

 

 

〔令和元年9月号第5部〕

あと4カ月で令和2年って!一年はアッという間に経過するんですね。とうとう11月で51歳になるのは不思議と早いもんです。

先月はまじめな話だったんで、今回は真面目でアホな話を!

 

実は私は物覚えが異常に悪いんです。むか~し、コンパクトディスクが発売されたらみなさんは「CD」と軽~く頭に入ったようですが、私の場合は、

え~っとなんだっけなぁ~「円盤だ、ほら音が出るこのくらいの光ってるやつ・・・円盤さぁ」周りからは「お~い!また始まったよw」でした。

なんと円盤を5年ほど言い続けました。5年後にやっと「CD」って読むと今度は「MD」やら「携帯電話」やら新しい言葉が、竹の子が生えるように産まれてきました。私は全くついて行くことができずにいました。

でも、なぜか、本を読むのが好きだったんですが、本に書いてある事はほとんど覚えられたんです。本を丸暗記できて忘れない方法も気付いたら、できるようになっていました。

私が独自の暗記法を公開しますね。(他の人が同じになるかは疑問w)

覚えたい本を3冊~5冊(できれば5冊)用意します。

それを並べて1ページだけ読む。次の本も1ページだけ読む。を5回繰り返すと

また1冊目から1ページだけ読む。次の本もまた、1ページだけ読む。

たったこれだけの、本の読み方。

これは、全く別の分野の本でも、似たような分野の本でもできます。

1冊目から5冊目まで1ページずつ読み終え、最初の1冊目に目を通すと

「あ、そうだ、ココからスタートで、次はこの段階だった」と思い出します。

と、頭の中では「勝手に復習を済ませ予習までこなしているようなのです」

 

不思議なことってあるもんです。

 

 

〔令和元年7月号&8月号第4部〕

前回の第3部はエロチックな雰囲気でいったん終わりにして、今回はまじめな話を・・・

 

今、日本と韓国は変なムードに走っていて、どこが終着点かわからない様子なんですね。

私は以前、韓国でオファーがあり、釜山、ソウル、義山、などの有名大学と海洋大学と韓国政府水産相本部研究所などへ行きました。

韓国のほぼ全ての研究所と養殖場へ行き外国人としては初めての水産相の研究場へも行くことができました。

もともと韓国は日本に輸出するタイやヒラメなどの養殖用稚魚を大量生産することに成功し特化している国でしたから、一番興味があったのです。

他ではオーストラリアなどからアワビなどの貝類仔魚を輸入し輸出できるまで育てる中間養殖も盛んなのでなおさら興味がわく湧く!

シークレットな部分等があり、あまり多くは書き込めませんが、おもしろおかしく書きます。

 

せっかく京都まで足を運んでくれた大学教授と大学会長のため、私も大学へ行くことにしました。この会長さんは高齢であり足腰が達者で、昔の日本占領下において日本語をマスターしていたので話す事に困りませんでした。

各場所へは全て車で移動しましたが、ものすごい走行距離をものともせず、高速道路では180~200㌔以上という命知らずのハンドルさばきに唖然としました。抜かれるから追い越すにだ!がモットーであり、交通規制など知らぬ顔。私は後部座席で外の景色があっ!という間に過ぎ去る超高速移動にも慣れてゆく毎日でした。

大学以外でおもしろい養殖現場がありました。もとは農家だったんですが、野菜が儲からない理由からティラピアという魚の養殖場へ大改造して成功していた現場です。農地に巨大な堀を造り、トタンやビニールで屋根を張り、水をため保温する。淡水魚であるティラピアは物凄い丈夫で、餌も選り好み全くなし!何かの糞まで食べてしまう異様に臭そうな魚です。その敷地内には、ティラピアを食べられるレストランみたい?なのが併設されており、私たちはそこで昼飯を食べました。最初に刺身→煮つけ→お吸い物&サラダという順です。刺身以外は普通に美味しかったです。ただ刺身はやはり糞のような匂いが立ち上り「これも経験!」と腹をくくりながら食べましたが、同行の一人は日本に帰るまでずーっと冷や汗をかき腹を下していました。

しかしこういう魚も、臭みなく健康に生産すれば日本といわず世界中の食糧不足が意外と簡単に解消できると確信しました。

 

さて韓国は郷土料理であるサムゲタンは有名ですが、焼肉が美味しいところです。特にオーストラリアから輸入される豚の腸であるホルモンは最高です。内臓をホースのままに、ハサミで切って焼きます。これは毎日のように食べても飽きません。ぜひ韓国へ行ったら袋小路になったような場所にある地元の人しか行かないようなホルモン屋へ行ってみましょう。

 

話は研究所へ戻します。水産相へ着くと所長さんたちと面談しました。最初はニコニコ笑う人でしたが、どうやら青筋がたって殺伐とした雰囲気になっていきます。大学の教授と会長さんはこちらも青筋をたてて話し声が殺気立ってきます。どうやらアポイントなしで来たようです。

しかも私が日本人と知るや否や「〇✖▽!!」と怒鳴る。ようするに日本人が嫌いらしい。そこで会長さんは「この携帯で大統領にお前のことを電話するぞ!」って怒鳴り返す。所長さんは顔が青くなったり赤くなったり。そうこうしていると本当に電話をした。ものの1分で入場は許された。

研究所では水族館みたいなのもありました。韓国で絶滅が危ぶまれている魚類などを保存し繁殖を試みる場所です。

もう一つはやはり養殖魚介類の国レベルでの向上を目指す、もっともシークレットな養殖基地です。ここでは私がもっとも見たかった〇ランダ式の特許を国でライセンス契約した浄化微生物を培養しながら魚介類の飼育に充てる、、、というものです。これは私が27年くらい前に初めて学んだ微生物の浄化技術であって、これに感銘を受けて今のスーパーナチュラルシステムにたどり着いた経緯があります。

しかしスーパーナチュラルシステムが、全くの別物になったのは食用に適さない匂いの素がその微生物であったのを学んでいたからです。

実際に目の前で見ると、やはり匂いの素は改善されておらず、行き詰っていると言わざるを得ませんでした。

ただ微生物だけの力で、酸素の平均的な供給、そして有害物質を無害化する、さらに水交換が一切ない、ということを踏まえれば研究を永続させたい!

という思いが十分に伝わる技術でした。

現在は韓国側とお付き合いはありません。いい人たちも揃っていますが、ある日本の大学筋からは「技術を盗まれる恐れあり」と太鼓判を押されたため、後のことを考え中止させて頂きました。

でも、大変良い人生の学びを下さった韓国の人たちに、ものすごく感謝しています。またいつの日か、ホルモン焼きを食べに行きます。

 

 

 

〔新4月号春〕

いよいよ5月から令和って元号なんですよね。昭和、平成と、良き時代を無事に過ごさせて頂き感謝しています。

今日は4月吉日の晴天。桜が満開の日なので、おーバカで真面目なお話を、呑みながら?ひとつ・・

 

どんな人にも、青天の霹靂!マジか!ほんまかいな!と、いいことや、悪いこと、おこるよ。突然やってくるんだ。って思っときゃいいのさ。

上に書いたマラソンをしてた若かった日のこと。

昔のとんでもない山奥の農村?いや部落は電柱がなかった。細いヘビのように曲がりくねった杣道を足元に気を付けながら上がってゆく。

こんな時は「マジでこんなところに人が住んでるのか?え~?!」って考えながら登る。たいがいはポツンと鳥居のようなものがあり、それが部落の入り口になっている。この鳥居風が古いのなんの!恐る恐る小さな鳥居を潜り抜けると小さな田圃が道の両脇に点々と見える。そこをまた登ると、ポツン、ポツンと廃屋に近いような民家が見える。人の気配はするのだ。田圃がよく手入れされていることからもわかるし、民家から誰かが見ているような気配も感じられるのだ。「ん~こりゃ電気がない部落か?いやあったよ!足元に這っていた」でも家庭用の電気コードみたいに細いのだ。「もしかしてコレか!すんげえ~ただの電気コード」ひよこ電球とテレビくらいしか使えないやつだ。

考えながら登ってゆくと、ちょうど相撲の土俵くらいの大きさのまあるい空き地がある。そこで戦慄の光景を見てしまった。

小柄であり、髪の毛は四方八方に縮れ飛んだ白い頭の老婆が、赤い三輪車に乗ってまあるい空き地を訳もなく、ただ周回しているのだった。

それは風もなく良く晴れた空の下で、永遠と続いた。

オラはその様子を飽きることなくただ眺めているしかなかった。やっと我に返った時にこう話しかけた

「すいません、なにしてるんですか?」

老婆はひたすら回り続けながらこう返してきた

「500円なら米一俵・・・リンゴ5個(だっけな?)なら米5んご~(たぶん5合?)」

老婆はさらに

「この村にゃ~500円玉持っとるもんがおらんから、いちどおがんでみてゃぁ~だ」

っていうことは、500円玉が発行されたより前から村にお金の流通はないのだろうか。物々交換か自給自足か。

この時点でも、かなりの山村を練り歩いてきたが、ここまでお金の流通すらないところは初めてだった。

老婆にポケットにあった500円玉を与えると「えー!?いいのぉー」と少女のように顔を輝かせ、震える手で500円玉を空へかかげ拝んでいた。

なんか時空のポケットに入ったような錯覚で目まいがした。老婆はオラのこと、忘れてしまったかのように拝んでいる。

今だ、ココを去ろう。

帰り道の杣道で「これ電気通ってないよな?お金、流通してないんだし」なにげなく足元の電線に目をやり、足元に転がっていた石をつかむと電線を石と石のはざまで叩いて切ってみた。一瞬だったがうっすらと火花が散った。「あれれ?電気が通ってた?」っと思ったその時。

さっきまで、老婆しかいなかったはずの部落から大声が「誰だーーーっ!村の電気を切ったやつはーーー!捕まえろーーー!」

3人から5人ほどの男たちの声と足音が杣道を急激に下ってきた。

ヤッべぇ~!捕まえられて殺されるんじゃないか!まさか食人する風習があった村の噂は今でも実在していたのか!?

オラの顔から血の気が引くのがわかるほど顔は冷や汗で寒くなった。

オラは必死に走った。頭の中をすばやく回転させた。

そうだ、山を横に沿うようにして逃げれば他の村があるんじゃないか。もしかしたら、縄張りみたいなものがあって、互いに反目しているかもしれないと思った。なんせお金が流通していない部落があったんだから。

長距離は自信があった。山で住み暮らしていてもマラソンをしてるわけじゃないんだ。

 

やがて足音も声も聞こえなくなり、冷静を取り戻して歩くことができた。

横へ横へと杣道を行くと、やっと一塊のお盆のような部落へ着いた。そこは山の谷合に囲まれた部落で、ど真ん中に一本の道があり、その両脇を挟むように小さな田圃が上へと続いていた。民家は山を背負うように一番隅に6件ほどが点在していた。ど真ん中の道の一番奥の高台には、村で一番の権力者と思われる立派なお屋敷があった。門構えが白く、大きくて、他の民を監視しているかのようだ。山奥には不釣り合いだった。

 

〔令和5月号第2部〕

いよいよ令和っていう年号になりましたね。新天皇陛下・・・ばんざーい?っていうのかな、これは。では4月号の続きー

 

山奥には不釣り合いな村長(むらおさ)らしい邸宅を眺めていると、「から~ん、から~ん」という鈴の音が聞こえてきた。

それは高台の門の奥からゆっくりと姿を現した。紅白のしめ縄飾りをし、立派な角をはやした牛だった。その背中には日本の婚礼和装を身にまとった花嫁がでぇ~~~んと座っている。頭には紅白の三角帽子?が大きく乗っていた。帽子を風から守るためか片手は三角帽をしっかりと握っていた。

その両側にはきれいな紋服袴姿の男性が牛の紅白手綱を牛の鼻近くで握っている。向かって左側には花婿さん。右には小さく小柄な村長らしきお年寄りが紅白手綱を握っていた。さらにその牛の後には村人であるお年寄りたちの静かな列が20人ほど粛々と続いていた。

村の入り口である一本道の鳥居には、なすすべもなく見守るように佇む、これまたすんごいお年寄りが、悲しいような顔立ちでありながら、今か今かと花嫁の到着を待っているのだ。私は時を忘れたかのようにただただ見入るだけだった。

ゆっくりと鈴を鳴らしながらの牛から続く人の列は、やっと鳥居の前に到着した。聞き耳をたてるとどうやら娘を他の村へ嫁がせる儀式のようなものだった。手綱を握っていた左側はその兄で、右は長老と呼ばれる村長(むらおさ)のようだった。ということは、この格好のまま花嫁はどこか近くにあるはずの村へ嫁いで行くのだろう。鳥居付近で待っていたお年寄りたちは花嫁の家族や親戚たちのようだった。ひとりが花嫁に「村を出たら戻ってくるんじゃねぇ~よ。かならずよその村で往生すんだでぇ~。きっと孫ばぁ~作って見せろやぁ~。」

あ~~っ、涙のお別れだったんだな。すると別の村の村長らしき人が鳥居の陰からあらわれ、紅白に着飾った牛の手綱を受け取り、粛々と杣道を戻っていった。とその時「あんちゃんはどっから来なすった?」と兄らしき人物から声が掛かった。「はい、北海道からマラソンをしていたら山道が面白くなってぐるぐる道を来たら、たまたまココに着きました」兄「あ~~、んじゃぁ日も暮れるから泊って行ってけろぉ。今日はお祝いだから」私は行く当てなどないので二つ返事で喜んだ。

さて、陽が沈みかけのころ、村の皆が村長の家に沢山の料理を運び込んでいた。総勢30名ほどになっていた村のお祝いが始まった。花嫁を出したばかりでこんなにお祝いか?と思っていたら実は、その兄も交換条件として相手の村から嫁をもらうというのが、このお祝いの習わしらしい。

嬉しさいっぱいの兄と私はこの日、牛乳のような白い濁り酒でかなり泥酔した。私は物凄く広く立派な一部屋を与えられた。何十畳もある真ん中にふっかふかの布団だった。まさしくお布団様につつみこまれるように寝たのだ。

 

しかし思いがけないことが起こった!たぶん夜中の12時はすぎているころだった。なんと足音がさっさっさっと近づいてきたのだ!さらにはもう一人の足音が引きずるようにすーっすーっと。それは足が悪いのかそんな感じだった。

やばいー!真夜中のアレが出たか!?目が開けられない!怖い!みちゃダメだ!しかも2人分ってないだろ!怖ぇ~!お化けだ!

真夜中のそれはなんと!お布団様の私の枕元のすぐ横で立ち止まった。そのお2人さんは座った気配がしたのだ。やばいって!座るな!ダメだ!脇と背中に染みだしていた汗みどろで、寝たふりを朝まで決め込んでやろうと決心した、そのときだった。「お若いの、うちの娘を抱いて種を授けてくんねぇ~べか」ひえぇ~!お化けが喋ってくる!うっひゃぁ~こりゃ飲み過ぎたか!ん?待てよ。これは現実かもしれない。と恐る恐る目を開けた俺。

 

〔令和6月号第3部〕  

さて私はまた、あてどなくマラソンをしていた。昨日の夜の出来事を振り払うように走っていた。あたりはうっそうとした杉林でときおり雑木林が顔を覗かせている。上を見れば茶色く色づいたアケビの実や、重そうに実った山葡萄(やまぶどう)、そして足元には山百合が咲きみだれていた。その奥にはうらしま草の花がひょっこりと見えている。午前中は精一杯に景色を眺めながら走り、午後は新たな宿を目指してあてもなく走るのだ。

ただ宿と呼ぶものに泊まったことはない。どういうわけか山の部落とか海へ出れば漁師の田舎町へ行き、今日のねぐらと食事を乞うのだ。近頃ではありえないだろうが、昭和の終わりから平成元年くらいで私が走っていた頃は、こんにちのように詐欺や何かで人を疑うことが田舎ほど少なかったのだ。

漁師の田舎町では網の修理や繕いでいる場所へ行き、話しかけながらお手伝いをする。山の部落では畑仕事や田植え、鍬入れを見かければお手伝いをする。ただこれだけで話がはずみ、勝手に泊めてくれる運びになるのだ。そんな古き良き時代の本道が日本中にあったのだ。

 

昨日はまずった。恐る恐る目を開けると白髪の綺麗なお婆様が鎮座していたのだ。もう一度確かめるために聞いた。「今なんと?」

お婆様は「お若いの、うちの娘を抱いてお種を授けてくんろ。この村はほがから血がはいんねぇがら、こういうのが産んまれてしょがねぇ。抱げば女なんてぇおんなずだべ?」と言うのだ。

(そうか、今日の花嫁と花婿の村同士の交換というのは、今ではひどく珍しいことか。でお祝いだったわけだな)

今では考えられないが、昔は近親の者とわかっていても、村を維持するために、か。廃村が近づいていると見える村は、確かに多かったように思えた。

 

真っ暗な部屋の中にお屋敷のお婆様が、娘のような女性を私のお布団様のかたわらに「よろしく」と置いて行ってしまったのだ。その人(女)はうまく喋れない。「ア~ウイヤ~」と言う。暗闇に少し目が慣れてくると顔が少し下に横にと変形していた。目の位置が均等ではない。大きさも違う。片足と片手はちょっと違う方向に曲がっていた。でも女性の匂いはしていたのだ。どうしたらいいのか迷いつつ黙っていた。このまま早く朝になってくれ!と願っていた。その時だった、その人は斜めに座ったまま布団の中の私の手を探し当てた。手は確かに柔らかく女性を普通に感じさせるものだった。どうやってまぐわえ、というのか。いっとき手を触られたまま考えた。よく考えてみればこれは大変な人助けなのだ。

やるしかないと、決めつけた。誰のために何を成せるか。村のために種を宿せることができればいいのだ。新たな血を村は欲しているのだ。

正義感に等しいと思いながらも、男のアレも欲求を満たしたいと若さにより願っていた。いや、まだ濁り酒の余韻が冷めぬうちがよかろう。

どうやってまぐわうか、よく考えた。そうだアレでまぐわうしかないのだ、寝バックの体制だった。おもむろに布団をかきあげ、手を引いた。なぜか顔を近づけてきた。しかしそよりと自然をよそおい顔を掛け違いざま、背中が上になるよう、胸が下になるよう、その半回転は成功していた。

その人はスエットのようなピンクの上下だった。まだ洗濯臭が残っていた。

上はそのままに、尻だけ出すことを目指した。パンツとスエットを一緒に、お尻が見える位置まで下ろした。そのとき男のアレは既に立っていたのだ。

こんなにうまく立つとは、自分でも仰天していたものだ。その後、尻だけを見つつ二度、放つことに成功した。もう十分だろう。ただこれで、ゆっくりと寝息をたてるほど眠れはしなかった。だから色々考えた。万一でもなんのかのと村に引き止められてしまえば、村の人間になってしまうことも有り得るのでは、と思ったからだ。その人はなぜか隣で寝息をたてていた。今しかなかった、ここを出るのは。外はまだ日の出前で薄明かりが射していた。

 

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